稲垣吾郎が生まれる
稲垣吾郎 丸くは、ならない。
後の優勝インタビューで
3日目に落車して"めちゃくちゃ野次られたので励みになりました。"
と、森くん自身が言っていた野次の中で、下手くそー!辞めちまえー!◯ねー!は日常茶飯事かと思います。
しかし、あの"めちゃくちゃ野次られた"の中には「解散したんだから、引退しろー!」というものがあり、これについてもう少し私の想いや考えを掘り下げるとすると、単純に(まだそんなこと言われるのか)という正直驚きと(関係なくね?)という辛辣な想いがある。
続ける。
誤解を恐れずに言うと、私は一度森くんを殺した様に思う。焦がれて焦がれて、恋しくて恋しくて、寂しくて寂しくて、でも夢の邪魔をしたらいけない。自分の勝手な想いを押し付けたらいけない。と、雁字搦めになって、いつしか(森くんを応援することは邪魔)(レース場に行くことは森くんの邪魔)とどこか解釈して、もう死んだと思った方が楽になれる。と、それくらいで居ないと、辛くて居られない。と、事実を歪めた。
それでも、折に触れてその自分の中で(死んだことにした人)を見たいと思うし、会いたいと思うし、やれ"はだかの王様までは歌えるから行こうか"て言っただの"コンサに来た"だの"僕の友だちは5人しかいません"だの"焼肉に来た"だの←随分端折ったな!笑 耳に入るし、目に触れるし。
私だって、その死んだはずの人のことを調べてS5だの川口No.1だの、優勝しただの、落車しただの、SG獲れたんかいなだの、ネチネチウジウジやって
挙句いつだか、草彅に"smapということで繋がっていて、それが全てなのね。別に一緒に同じ空間にいる意味もそんなにもたないと思う。どこにいてもsmapだし、いまだに森くんだってsmapだし。もうsmapという逃れられない運命なので"と言われる始末。
その度に!?となって、心臓がひっくり返り"うるっせー!!"となった。焦がれて、恋しくて、寂しくて、嬉しくて。
だから、この野次を聞いた時、"なんつった!?"と思いつつ、"キッター!!これが逃れられない運命!!ジーザス!!"と独り湧いていた。
野次るおっちゃんに紛れて、"森のファンが可愛そう"と言ってくれてるおっちゃんも居たし"信じらんなーい"と言っている森のファンも居たし、"大丈夫だぞー、森!""頑張ったぞー、森!"と言ってるおっちゃんも居たし、とにかく私はその総てを逃してなるものか!と、森くんと一緒に浴びせかけられていた。
あーこれが、森くんがやってきた21年だ。
smapがやってきた21年だ。
私の21年だ。
あの人が☆のヘルメットを被って走る意味だ。
と、震えた。
やがて森くんは、三方向へペッコリあの長い体を90度に折って頭を下げてオーバルを後にした
9Rは終わっていた。
7番8番の落車で、車券は飛んだし皆怒っていたけど、とにかく私はもうなんとも言えない充足感に包まれて、興奮していた。
滅多やたらにあるわけではない、森くんの落車を目の前にしたこと、盛大に野次られている渦中を共にしたこと、とにかく本人よりバイクの状態が気にはなったが、ここからが強い。
あの人は、必ず盛り返して来るはず。
はてさて
ロッカーが閉まる21時までにはまだ、6時間ある
他落の通知も出て明日への切符も繋がった。
やっと席に戻り
(というか、ムラサメの前のテーブル)
ちゃんもーぅ!と盛大に辺りを散らかしながら
(片付けはちゃんとしますよ!)
11R12Rを単純に楽しんだ。
しかし、順番ではなくベテランの凄味がえげつない。ただただ、背筋が伸びる思い。
やがて
レースは終了して周りは暮れていき、夕練を眺めた。
師走29日の夜、下りの新幹線は満席を覚悟したが、自由席はガラガラだった。
よし、私は私の与えられた場所で。
個人個人が居るべき場所で、頑張って世界を動かして行けば。
こんな、21年前には考えられなかった未来が来るんだよ。と、嘗ての若かりし15.6の私自身に呼びかけていた。
こんな、1日を21年毎日毎日生きて来たからこそ生きていてくれたからこそ、何度も我々は再会した。
あの日、片腕を捥がれる思いで見送ったはずの片腕は、ずっとずっと私とともにあった。
そのことに強く強く気付かされた、2017.12.29はこうして幕を閉じた。
そしてあの栄光の2017.12.31へバトンを繋げて
稲垣吾郎がダメな理由ワースト8
コメントもたくさんありがとうございます
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