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前にもブログに書いたけど武豊騎手
去年まではJRAの平地GI完全制覇まで朝日杯FSのみだったんですよね
それが今年から春の大阪杯と今週のホープフルSがGIに格上げ
完全制覇への道が遠のいたけど大阪杯をキタサンブラックで勝利
残すは朝日杯FSとホープフルSの二つに
先日の朝日杯FSはアサクサゲンキ10着だったけど
今秋のホープフルSを勝てばまた完全制覇に王手がかかります
そして王手も夢ではない騎乗予定です
武豊騎手がホープフルS(GI)で騎乗予定なのが
ジャンダルム 牡 2歳 です
新馬戦、デイリー杯2歳Sで無傷の2連勝
母はスプリントGIで2勝の名牝ビリーヴ
前2走は共にマイル戦だったので今回の2F延長がどうかなって所ですが
父のキトゥンズジョイは2400mのGIを勝ってますし
産駆には中距離型の活躍もあり十分通用する素質はありそうです
前走のデイリー杯2歳Sも本気で走ってないままの快勝ですし
まだまだ本当の力は見せていないような状況です
調教の動きも良く万全みたいなので
ホープフルS勝利も十分ありそうです
ちなみに武豊騎手はこのレースがGI昇格前に
98年アドマイヤベガ、09年ヴィクトワールピサなどで
すでに5勝もしていますから当然問題はありません
有馬記念での勝利の勢いそのままに
ホープフルステークスにも注目ですね
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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。
牧光二厩舎のディアデルレイ(牡6歳・父キングカメハメハ)は、次走の予定が1月21日(日)の東海S(中京・ダート1800m)ですね。
今年、この馬は、3月のマーチSで2着に入っていましたし、前々走と前走ではオープン特別の福島民友Cと師走Sを連勝しているように、順調に成長しているのでしょう。
ディアデルレイを管理している牧先生は、中央大学の馬術部にいた頃、国体で団体優勝していて、世界学生選手権にも出場していて、その活躍振りが評価されて、出身地の大分県から「県民栄誉賞」を贈られていましたね。
大学を出てからは、1998年の4月に競馬学校の厩務員課程に入って、その年の10月からは、増沢末夫厩舎で厩務員をやって、12月から宗像義忠厩舎で調教助手を7年くらいやっていました。
そして、2005年の11月から、大学で馬術部の先輩だった上原博之先生の厩舎に移って調教助手をやっていましたね。
その頃の上原厩舎には、2004年の皐月賞など、GIを5勝したダイワメジャーや、2005年の新潟2歳Sを勝ったショウナンタキオンや、2008年のオーシャンSを勝ったプレミアムボックスなどがいましたから、走る馬を間近で見られたことが、牧先生にはいい経験になったのでしょう。
先生は、2008年の11月に自分の厩舎を開業していて、その年は、レースに使った頭数が少なかったので、1勝も上げられなかったのですが、次の年は11勝、2010年は、アニメイトバイオを使ったローズSで初めて重賞を勝つなど、全部で17勝を上げていましたし、2011年には、今までで最高の「32勝・獲得賞金4億9307万円」という成績を残していました。
その後も、コンスタントに20勝以上を上げていましたし、今年は、先週までに、「24勝・獲得賞金4億1153万円」という成績を残しています。
でも、先生の厩舎は、アニメイトバイオを使った2010年のローズSから、重賞勝ちが7年以上もご無沙汰なので、東海Sに向けて、「ディアデルレイで久々に重賞を勝ちたい」と考えて、気合いを入れて仕上げてくるでしょうね。
ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。
私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。
昔の写真を載せておきますね。
馬の前に立っているのが私です。
競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。
私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。
何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。
その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。
私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。
先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。
私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。
そして今回は、藤沢和雄厩舎がホープフルSに使うフラットレーについて、私の頼もしい仲間の一人で、美浦の調教師だった山田要一さんから届いた報告を紹介しておきますね。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
藤沢和雄君の実家は、1978年の天皇賞・秋を勝ったテンメイと、2010年の共同通信杯を勝ったハンソデバンドで有名な、苫小牧市の樽前にある「藤沢武雄牧場」でして、彼は大学を出てから、お父さんの武雄さんの友達だった田中良熊さんがやっていた、登別にある「青藍牧場」の手伝いをしていた時に、「自分も競馬に関わる仕事をする」と決めたそうです。
それから藤沢君は、ニューマーケット(イギリス)のギャビン・プリチャード・ゴードン厩舎で、4年くらい厩務員をやって、日本に戻って来てからは、1977年から、菊池一雄厩舎(皐月賞とダービーを勝ったカツトップエースなどを管理)の調教助手をやって、1982年から、佐藤勝美厩舎(札幌記念を勝ったサンエイサンキューなどを管理)の調教助手をやっていましたね。
そして、1983年からは、3冠馬シンボリルドルフなどを育てた野平祐二厩舎で調教助手をやって経験を積んで、1987年に調教師の試験に受かって、次の年に自分の厩舎を開業しています。
調教師になってからの藤沢君の活躍は、皆さんもよく知っている通りで、タイキシャトルを使った1998年の安田記念とマイルCS、シンボリクリスエスを使った2002年と2003年の有馬記念、ダンスインザムードを使った2006年のヴィクトリアマイル、サトノアレスを使った去年の朝日杯FS、ソウルスターリングを使った今年のオークス、レイデオロを使った今年のダービーなど、今までに、GIの26勝を含めて重賞を104勝もしています。
それに、勝ち星そのものも多くて、開業してから去年まで、1年あたり46勝もしていますし、先週までに、現役で一番の「通算1381勝」という素晴らしい成績を残していますね。
賞金も、1995年から2006年までの12年間は、ずっと10億円の大台に乗せていましたし、ゼンノロブロイで天皇賞・秋とジャパンCと有馬記念などを勝った2004年には、それまでの最高だった「23億1700万円」を記録していました。
ただ、一昨年は、「32勝・獲得賞金7億9156万円」と、21年振りに40勝を下回っていましたし、賞金も、4年振りに8億円を下回ってしまったため、去年の藤沢君は「必ず巻き返したい」と考えていた筈です。
実際に、去年、彼の厩舎は、サトノアレスを使った朝日杯FS、ソウルスターリングを使った阪神ジュベナイルFなど、重賞を5つ勝って、「51勝・獲得賞金10億9272万円」という素晴らしい数字を残しましたので、私の見込みは正しかったのでしょう。
それで、今年に入ってからは、ソウルスターリングでオークス、レイデオロでダービーを勝つなど、先週までに「重賞6勝を含む、44勝・獲得賞金14億2473万円」という数字を残して、賞金ランキングの2位に付けていますけど、1位の池江泰寿厩舎(17億9503万円)には「3億7030万円」の差を付けられていますので、私が彼でしたら、「池江厩舎との差を少しでも詰めたい」と気合いを入れる筈です。
そんな中、明後日、藤沢君は1着賞金が7000万円のホープフルSにフラットレーを使いますので、「この馬は勝負懸かり」と考えるべきでしょう。
実際、彼がこの馬をどう仕上げてくるのか、昨日、最終追い切りの様子を確認したところ、南ウッドに入れられて、5Fが71秒2、終いの1Fが13秒1という時計を馬なりで出していました。
キングドラゴン(3歳500万下)をコンマ4秒追い掛けて、ゴーサインが出ると、鋭い反応を見せて、最後はキッチリ同入していましたし、追い切った後の息の入りも良かったですから、彼の狙い通りに仕上がったと見ていいでしょう。
これなら、いいレースが期待できそうですね。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
藤沢和雄厩舎がホープフルSに使うフラットレーについて、元JRA調教師の山田要一さんから届いた報告は以上です。
また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。
ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。
では、また次回。
小西聖一でした。
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小西聖一と申します。
牧光二厩舎のディアデルレイ(牡6歳・父キングカメハメハ)は、次走の予定が1月21日(日)の東海S(中京・ダート1800m)ですね。
今年、この馬は、3月のマーチSで2着に入っていましたし、前々走と前走ではオープン特別の福島民友Cと師走Sを連勝しているように、順調に成長しているのでしょう。
ディアデルレイを管理している牧先生は、中央大学の馬術部にいた頃、国体で団体優勝していて、世界学生選手権にも出場していて、その活躍振りが評価されて、出身地の大分県から「県民栄誉賞」を贈られていましたね。
大学を出てからは、1998年の4月に競馬学校の厩務員課程に入って、その年の10月からは、増沢末夫厩舎で厩務員をやって、12月から宗像義忠厩舎で調教助手を7年くらいやっていました。
そして、2005年の11月から、大学で馬術部の先輩だった上原博之先生の厩舎に移って調教助手をやっていましたね。
その頃の上原厩舎には、2004年の皐月賞など、GIを5勝したダイワメジャーや、2005年の新潟2歳Sを勝ったショウナンタキオンや、2008年のオーシャンSを勝ったプレミアムボックスなどがいましたから、走る馬を間近で見られたことが、牧先生にはいい経験になったのでしょう。
先生は、2008年の11月に自分の厩舎を開業していて、その年は、レースに使った頭数が少なかったので、1勝も上げられなかったのですが、次の年は11勝、2010年は、アニメイトバイオを使ったローズSで初めて重賞を勝つなど、全部で17勝を上げていましたし、2011年には、今までで最高の「32勝・獲得賞金4億9307万円」という成績を残していました。
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でも、先生の厩舎は、アニメイトバイオを使った2010年のローズSから、重賞勝ちが7年以上もご無沙汰なので、東海Sに向けて、「ディアデルレイで久々に重賞を勝ちたい」と考えて、気合いを入れて仕上げてくるでしょうね。
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私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。
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競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。
私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。
何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。
その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。
私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。
先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。
私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。
そして今回は、藤沢和雄厩舎がホープフルSに使うフラットレーについて、私の頼もしい仲間の一人で、美浦の調教師だった山田要一さんから届いた報告を紹介しておきますね。
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藤沢和雄君の実家は、1978年の天皇賞・秋を勝ったテンメイと、2010年の共同通信杯を勝ったハンソデバンドで有名な、苫小牧市の樽前にある「藤沢武雄牧場」でして、彼は大学を出てから、お父さんの武雄さんの友達だった田中良熊さんがやっていた、登別にある「青藍牧場」の手伝いをしていた時に、「自分も競馬に関わる仕事をする」と決めたそうです。
それから藤沢君は、ニューマーケット(イギリス)のギャビン・プリチャード・ゴードン厩舎で、4年くらい厩務員をやって、日本に戻って来てからは、1977年から、菊池一雄厩舎(皐月賞とダービーを勝ったカツトップエースなどを管理)の調教助手をやって、1982年から、佐藤勝美厩舎(札幌記念を勝ったサンエイサンキューなどを管理)の調教助手をやっていましたね。
そして、1983年からは、3冠馬シンボリルドルフなどを育てた野平祐二厩舎で調教助手をやって経験を積んで、1987年に調教師の試験に受かって、次の年に自分の厩舎を開業しています。
調教師になってからの藤沢君の活躍は、皆さんもよく知っている通りで、タイキシャトルを使った1998年の安田記念とマイルCS、シンボリクリスエスを使った2002年と2003年の有馬記念、ダンスインザムードを使った2006年のヴィクトリアマイル、サトノアレスを使った去年の朝日杯FS、ソウルスターリングを使った今年のオークス、レイデオロを使った今年のダービーなど、今までに、GIの26勝を含めて重賞を104勝もしています。
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賞金も、1995年から2006年までの12年間は、ずっと10億円の大台に乗せていましたし、ゼンノロブロイで天皇賞・秋とジャパンCと有馬記念などを勝った2004年には、それまでの最高だった「23億1700万円」を記録していました。
ただ、一昨年は、「32勝・獲得賞金7億9156万円」と、21年振りに40勝を下回っていましたし、賞金も、4年振りに8億円を下回ってしまったため、去年の藤沢君は「必ず巻き返したい」と考えていた筈です。
実際に、去年、彼の厩舎は、サトノアレスを使った朝日杯FS、ソウルスターリングを使った阪神ジュベナイルFなど、重賞を5つ勝って、「51勝・獲得賞金10億9272万円」という素晴らしい数字を残しましたので、私の見込みは正しかったのでしょう。
それで、今年に入ってからは、ソウルスターリングでオークス、レイデオロでダービーを勝つなど、先週までに「重賞6勝を含む、44勝・獲得賞金14億2473万円」という数字を残して、賞金ランキングの2位に付けていますけど、1位の池江泰寿厩舎(17億9503万円)には「3億7030万円」の差を付けられていますので、私が彼でしたら、「池江厩舎との差を少しでも詰めたい」と気合いを入れる筈です。
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実際、彼がこの馬をどう仕上げてくるのか、昨日、最終追い切りの様子を確認したところ、南ウッドに入れられて、5Fが71秒2、終いの1Fが13秒1という時計を馬なりで出していました。
キングドラゴン(3歳500万下)をコンマ4秒追い掛けて、ゴーサインが出ると、鋭い反応を見せて、最後はキッチリ同入していましたし、追い切った後の息の入りも良かったですから、彼の狙い通りに仕上がったと見ていいでしょう。
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